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AIをめぐる工学と社会科学

1月20日(土)

昨日19日は、朝から一日、農業経済学ユニットの卒業研究報告会だったわけですが、私は午前の終わり1時間半ばかり、中座して、FD/SD研修に参加しておりました。

おいでいただいた講師の先生は、AI研究というか、ChatGPT研究の第一人者。第一線を退いて(いるのか?)も、ChatGPTを相棒として研究してらっしゃる。毎日が楽しくてしょうがないらしい。

ChatGPTをどうやって成長させるか、そのためには、「成長」とは何か。まずは良い答えを出させることですが、「ユーモアのある受け答え」ができること。人間に近づくことですね。

そのためにだじゃれを答えさせるトレーニングをしているらしいですが、
「私は普段はだじゃれはいいません」
なるほど、そとから「だじゃれの面白さ」を見ている立場ということなんでしょう。

ユーモア、ダジャレは、ズレているから、「正しい答え」ではない。ですので、生成AIの教師データとはなり得ない。しかしこれを教師としないことにはダジャレは作れない。難しい。そこに生成AIの能力改善のヒントがあるのでしょう。おもしろいです。

その方策として考えているのが、遺伝的アルゴリズム。突然変異が生まれるから。なるほど。懐かしい。

生成AIについては、どんな規制のルールを作ったら良いのかというのが現在の焦点ではあるのですが、ご講演の内容はそれと対であるべき、「生成AIとは一体何なのか」という点に焦点を当てたものでした。これはある意味当然。対象とするものが一体どんな能力があるのか、どんな可能性があるのか、が分からないことには規制も何もない。

鋏だって人を殺せるし、原発は私たちの生活に重要な存在であることは間違いない。

自動車産業は性能の良いエンジンの開発にしのぎを削ります。性能を向上させるためにはどうすれば良いか。そのために耐久レースなどをするわけです。自動車は事故を起こして人を不幸にするがそれはエンジンのせいではない。運転する人間だったり、道路が整備されていないとかという社会資本の問題だったり。要はどう使うか。エンジン開発とどう使うかは異なる問題、課題なわけです。

怖いからといって開発を止めてはいけない。この研修がどっちに重点を置いたものかというと、可能性ですね。その上で、このあと、規制について議論する必要があります。
painting and windsor chair
私は開会での挨拶の係で、下手な芝居を打ったのですが、おわってから参加されていた方から、
「cでプログラムを書いていたんですね。」
ずいぶん昔です。

20日午後はお招きいただいたキャンベル先生のご自宅に。

そのあと町内会役員会。町内会費は支出とリンクさせ、公平感を維持したい、ということで。

(仙北谷)

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