投稿記事
「最後の戦後」に
8月15日(月)
1920年代は、第一次大戦の「戦後」であると共に、第二次大戦の「戦前」でもあります。
現在は、第二次大戦の戦後。本日で77年がたったそうです。「組織的な戦闘が終わった」という条件付きですけどね。
「これを最後の『戦後』にしなければならない、『戦前』にしてはいけない」というのが、今日の日経の社説。その通りだと思います。
「戦争は悲惨だ」「戦争は多くの無辜の命を奪う」というのは、おそらく多くの人が知っている。おそらくロシアの人たちも知っているんだろうと思います。それでも多くのロシア国民はプーチンさんを支持しているわけです。
これはなぜか。それでもなぜ戦争は起こるのか。なぜ戦争を選んでしまうのか。
「自分も『ロシア国民』になってしまう可能性がある」という自覚があるか。少なくとも1920年代、30年代の日本人は「ロシア国民」だったわけです。人ごとではなく自分の問題として考える必要があるのだろうと思います。日本人はなぜ戦争を選んだのか。自分はそのことをきちんと理解しているのかどうかで、平和を語るときの責任感、リアリティが違ってくるんだろうと思います。
正直に申し上げると、自分は、なぜ日本人が戦争を選んだのかということは、理解できていないですし、納得できないままです。ですので当然、ほかの人には語れません。まだまだ過去に学ばなければならないのだろうと思います。
(仙北谷)