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教育のモチベーション

4月16日(火)

「ユニット」は何なのか外部には説明しにくいですが、教育カリキュラムと理解していただければ良いと思います。教員の組織ではなく、学生のプログラムです。教員は研究の組織に所属しています。私は「環境農学研究部門」です。

今から20年近く前ですが、学部教育カリキュラムの見直しがあり、農業経済学に関わる教育ユニットは不要ではないかという議論がありました。

このときは会議の中で、まぁ重鎮といっていい教授から面と向かって、
「農経いらないだろ。」
といわれ、そのあと数日、大学に出て行くのが辛かったこともありました。

そんなこともありましたけど、会議の中で、はじめは少数でしたが、私の考えを理解してくださる方もいらして、なんとか周りの方々を説得し、「農業経済学ユニット」を立ち上げることをお認めいただきました。ユニット体制決定の会議で、当時、会議の議長の石橋副学長から、
「これが最後のチャンスだからな。」
と言われたことを覚えています。 

このときの私、と言うか、農業経済学の教員の考え方は、自分たちの組織を守りたい、ということではなく、学生に農業経済学の体系的な教育は必要だ、と言うことでした。

つまり、教育プログラムとしての「農業経済学ユニット」があることで、農業経済学の体系的な教育を受けることができるわけです。これは大学院進学、その後の研究者としての就職などを通じて、農業経済学研究者の輩出につながります。スタートの部分の学部教育がなくなることで、この部分が急速に縮小することが考えられるわけですが、それは大袈裟に言えば学問領域を支える人材が減ってしまうことにつながると考えられるわけです。

これはよくないだろうと思うのです。様々な学問があって、世の中どうするのが良いのか議論が広がるでしょうし、可能性も広がる、そういう、今でいえば多様性は必要だと思うのです。農経ユニットの必要性を訴え続けたのは、自分たちの保身ではないわけです。

ここ数日、ある先生と対面、メイルで議論しているのですが、
「自分たちのidentityとして組織が必要だ。identityを認めてもらうことで、教育のmotivationにつながる。」
といわれました。

私はこの考えには首肯することができない。

教育のモチベーションは教育すること自体であり、さらには教育の結果、学生が成長することだと思っています。自分たちの組織を守ることというのは、本末転倒ではないかと思っています。
english pastoral
昨年、かつての会議で一緒だった重鎮の先生が、ひょっこり私の本部棟の居室に顔を出してくださったことがありました。昔のことは覚えているでしょうか。そんな話はしませんでしたけど。

今、並行してほかの先生と、別のある作業について、主にメイルで意見をやりとりしています。結構テンポ良くメイルが返ってくるので結構大変なんですが、こっちは苦にならない。おそらく、ベースの部分を共有できている議論だからと思われます。

(仙北谷)

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