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秋の気配
9月19日(木)
帯広に戻ってなかなかまとまった時間がとれないため、ソ連・ロシアが1991年のクーデターとその後の混乱の中からなかなか抜け出せない。
このクーデターを境に、ゴルバチョフは表舞台から去り、エリツィンが出てくるわけですが、ペレストロイカの最中、ゴルバチョフはエリツィンをどう見ていたのかというのが気になるわけです。
本の中でゴルバチョフはエリツィンを浅はかな男のような書き方をしています。現にゴルバチョフのあと大統領職をひきつぎ、ロシアを混迷に導くわけですから。
ペレストロイカのはじめ、ゴルバチョフもこれが国民の支持を得られるか不安だったと思います。それでエリツィンのポピュリスト的な性格に注目し、それを利用しようとしたのではないでしょうか。共産党内での実績はあまりないのにモスクワの市長さんに抜擢するわけですから。ある意味うらやましさもあったかもしれません。
しかしクーデターのさなか、軍も国民もクーデターを起こした共産党幹部を支持しなかったわけですから、ゴルバチョフへの支持はたしかなものだったのでしょう。
それまで改革を慎重に進めてきたゴルバチョフのやり方に国民がイライラを募らせ、不満があちこちで噴き出す。もっと早く改革を進めてこれからどうなるのか示して欲しかったのかもしれません。当時の共産党幹部はこれを「国民は改革に反対している」と、自分たちにいいように解釈してしまったのでしょう。
大統領を辞任してから、ゴルバチョフは急進的なロシアの改革を批判します。ゴルバチョフは慎重だった。それを国民はじれったい、物足りないと思ったのかもしれません。
どっちが正解だったのかは分かりません。ポーランドの改革は「ショック療法が有効だった」と評価されているわけですから。
ゴルバチョフば、行く末の姿をもっとクリアに見せる必要はあったのかもしれません。「自分たちで考えろ」的な姿勢が強かったような記憶があります。ゴルバチョフにも見えていなかったのかもしれませんが。
怖いのは国民、世論なんでしょう。いつの世も。たきつけるか自制を求めるか。最近は前者が多いような気がしますが。
忘れないうちのメモという感じです。
当時日本はバブルに浮かれていた。私は大学院生で、ソ連のクーデターが伝えられたときは、大学の職員さん達のバーベキューに浴衣で参加して浮かれていた。遙か昔の話ですね。
九州から帰ってきたからかもしれませんが、空気が軽い。夕方帰るときは肌寒いくらいです。もうすぐ薄手のコートが必要かもしれない。
後期開始まであと10日あまり。大丈夫なんだろうか。
(仙北谷)