投稿記事
かたちから入る
5月10日(土)
昨日金曜は、授業回数を稼ぐ関係で、火曜授業でした。そのためゼミはなし、しかも良い天気でした。その結果どうなったかというと、学内清掃に参加(する羽目)になりました。例年(うまいぐあいに)ゼミの時間帯で実施だったので参加していなかったのですよ。
それで、やるからには本気で。作業着のつなぎ、長靴、革手袋、ゴミ拾い用の火ばさみ、で参加。開始時間の2時に本部前に集まったかたから、「本気ですね」と言われました。かたちから入るタイプですから。こうするとモチベーションが(いやでも)上がります。
ただし、やる気が入りすぎたのか、あちこちゴミを拾って回収場所にゴミを持っていったら、もうだれもおらず。回収に回っているトラックを追いかけて持っていってもらいました。やれやれ。
件(くだん)の小林秀雄ですが、まだ読み返しています。
「読者」というタイトルの10ページばかりのエッセイなのですが、これがわからない。第一、10ページばかりの中にタイトルの「読者」という語が4回しか出てこない。一体この「読者」は何を指しているのか。
それでも10回くらい読み返していると、だんだん見えてきます。
おそらく、「読者」を、「批評家」という意味で使っているのではないかと思います。そういう意味だとすると、エッセイの主題は批評家精神。
小林秀雄は、「医者」であることよりも「患者」であることを善しとしています。しかしそれは同時に、その状態を維持するのは難しいとも。それが「考えるヒント」なら、ヒントを実践するのはなんとも困難、考えるというのはとんでもなく難しい作業なのかもしれません。
(仙北谷)